鎌倉円覚寺 横田南嶺管長 ある日の法話より いろはにほへと(二)
序文より
「いろはにほへと」の第二集を出すという。表紙は円覚寺の妙香池に飛来したカワセミの写真である。カワセミは池の小魚を狙って、朝誰もいない頃 に見かけるが、よく撮影できたものである。さて、このカワセミが狙っているのは何だろう、「二匹目のドジョウ」であろうか。 イエス・キリストは空の鳥を見よと言われた。聖フランシスコは小鳥を相手に説教したという。昔の高僧もまた鳥たちと共に坐った。円覚寺の開山堂 にお祀りする仏光国師像にも、右の肩の後ろに二羽の鳩がとまっている。 私が京都の僧堂にいた頃、境内にはたくさんの鳩がいた。人が近づけばもちろん逃げてしまう。ある朝、境内を掃き掃除していると、同僚が頻りに私 の頭を指さす。はて何事かと思うと、鳩が私の頭にとまっていた。頭が重たい気がしたはずだ。鳩だと意識した瞬間に鳩は飛んでいった。ほんの一時、 無心で掃除をしていたのかもしれない。 カワセミを撮影するのも難しいが、寺にはもっと難しい鳥がいる。その鳥は「サトリ」という。「サトリ」はどんなカメラにも写りはしない。絵にも 描けない。意識すればもう飛んでいってしまう。「サトリ」は難しい。しかし、何かひとつのことに無心に打ち込んでいるとき、そこに「サトリ」は現れるかもし れない。ふしぎな鳥である。(横田 南嶺)
本書の目次より
- 一番近くにある大自然
- 無常について
- 自分を抜きにして
- 気づくこと
- 一つの塵の中にだも
- 底のない桶で
- 生きることが何よりの供養
- 延命十句観音経
- 牛を飼い馴らすように
- 獅子奮迅
- 念に気づく
- 何もかもなげうって
- 海の中の魚の喩え
- 判断をする時
- 千手観音
- 教えないという教え方
- 無心のはたらき
- 成仏の姿
- 天下の蔭涼とならん
- 自分で判断せよ
- どんな時代であっても
- 腰骨カウンセリング
- 三つの力
- 気持ちを込める
- 生きる道のよすが