THINK POSITIVE
TRANSLATION
James
Watt

メッセージに感動して涙しながら原文に向き合う

翻訳者 ジェームス・ワット
PROFILE
カナダ出身。2003年トロント大学天文学部卒業、同大学物理学部研究助手を務める。その後、来日して東京大学大学院研究生としてISAS宇宙科学研究本部所属となる。また、英語教育協議会(ELEC)翻訳事業部主任、法政大学非常勤講師、東京工業大学非常勤講師を経て、現在フリーランスの翻訳、ライターとして活躍中。

聞く側に立って考えながら翻訳を進める

現在のお仕事についてお聞かせください。

翻訳を始めて12年目になりました。現在のメインは、美術館や博物館の音声ガイドの翻訳になります。

外国人の来館者向けに流す音声の英語原稿をつくっていらっしゃるとか。

もとの日本語原稿は、音声を制作する会社がつくります。キュレーターがそれに手を加えたものが僕のところにやってくる。僕の担当は翻訳だけで、ナレーションはプロのナレーターさんが吹き込みます。

美術館を訪れたお客様は、ワットさんの翻訳を耳で聞くということなりますね。

そうです。だから、聞きやすい英語で書かなければいけません。それと、聞いていてなるほどと実感できる内容でなければならない。たとえば「奈良時代、養老年間の720年に『日本書紀』という本がつくられました。」という日本語をそのまま英語にしても、来館者は「nara時代ってなんだ?」「yoro年間って?」「nihonshokiって?」というふうに、聞いていても実感としてわかりにくい。だから、そのへんをできるだけ補う必要があるのです。

それから、いわばムードを盛り上げるために演出を加えたりする場合もありますよ。通常は一般的な西暦で表しますが、ここぞという箇所にすこし大げさに「天武天皇元年に」と日本の年号表記を入れて雰囲気を盛り上げる。1つのプログラムの中で何度も使える手ではないけれど(笑)。いずれにしても、「これを聞いたらどういう印象を持つかな」「実感が持てるかな」と、聞く側に立って考えながら翻訳を進めます。

翻訳者 ジェームス・ワット

大切なのはクライアントとのコミュニケーション

広告の場合などは、ご苦労があるのでしょうか。

たとえば求人募集を翻訳するときに、それがクリエイター募集の告知で、そこにダサダサな英語を載せたりしたら、本当にクリエイティブな人たちに見向きもされないでしょう。広告の仕事では、確かにちょっとおおげさな文言に向き合って頭を悩ませる場合もありますよ。でも、そういうものもうまく翻訳して、不自然さが残らないようにしないと、翻訳者として責任を果たしたことになりません。原稿の内容どおりに適当に翻訳して、さっさと提出してしまうのは、レンガで家を建てるときにレンガのあいだに盛るセメントを半分にケチるのと同じです。

ところで、お話をうかがっていると、ワットさんにはいわゆる完璧主義者としての傾向がありそうですね。

そうかもしれません(笑)。けっこうあるかな。でも、どこまでやるか、線引きは必要です。翻訳会社とのコミュニケーションは、できるだけあったほうがいい。といってもどんどん増やしたいという意味ではなくて、たとえば自分が翻訳したものを誰が読むのか、クライアントはどんなスタイルをご希望なのか、文学的な要素を入れたいのか、スラングを入れたりしながら自然な感じでいきたいのか、そういうことを知らせてくれると、翻訳者としての仕事がたいへん楽になって助かります。翻訳を始める前に、そのへんをうんうん考え込んでしまうこともあるんです。

品質か、納期か、料金か…

全力で取り組んでいるご様子が目に浮かびます。ついつい時間をかけすぎてしまったりはされませんか。

はい。これはポリシーの1つでもあるのですが、僕は仕事を受けるときには必ずお客様に“GOOD, FAST, CHEAP”のなかから2つを選んでもらうことにしています。

「品質が高い、納期が早い、料金が安い」から、2つを選ぶ。

そうです。“GOOD, CHEAP”だったら、一定の作業期間をもらいます。“CHEAP, FAST”の場合は、納期優先になります。“GOOD, FAST”だったら、質の高いものをつくるために、ある程度時間がかかるし、それなりの労力も必要になります。納期がタイトな場合、僕は朝2時に起きて22時まで働いて、3日分の仕事を1日でやる。そのときはさすがに体力的にへとへとになる(笑)。

いずれにしても「GOOD, FAST, CHEAP」すべてをかなえることは難しいですね。

昔はどんな仕事でも引き受けていたんです。明日までにこの予算で2万文字ですか!? という仕事も、昔は駆け出しだったから受けていた。とくに娘が生まれたばかりのころは。でも、いまはそれをやっていると死んでしまいます(笑)。

震災に関わる翻訳に涙がぼろぼろ

お仕事で印象に残っているものがありましたらお聞かせください。

2011年3月の東日本大震災のあと、インターブックスから仕事のお話があって、震災後の被災地でのトラウマやPTSDを研究する大学の先生がたの研究会におじゃましました。そこで先生がたは、人びとのトラウマやPTSDをどう癒やすかについて発表されていた。そこでショックだったのは、被災地から離れたところにいて自分は震災の被害を経験していないのにトラウマになってしまう場合があるということでした。たとえば会津若松は揺れたけれど、家屋の倒壊もなかったし、内陸で津波も押し寄せていない。原発事故の影響も少なかった。でもトラウマになってしまう人たちがいた。先生の発表によれば、人や車が流されているような被災地の現場の悲惨な様子をテレビやYouTubeで見ているだけでトラウマになるんだそうです。屋上で避難を呼びかけていた女性が流されてしまったという話を聞いただけで大泣きしてしまうというような精神状態になるらしい。

実際に経験をしているわけではないのにトラウマになってしまう…。

それは普通のことなんだそうです。実は僕は、会場でその話を聞くうちに涙が止まらなくなってしまいました。

僕は東日本大震災のあと、それまで勤めていた会社を辞めて、個人事業主として自宅で仕事をすることを決めました。震災の当日、東京では帰宅できない人や、何時間もかけて家に帰った人がたくさんいましたね。そのことに僕は強い衝撃を受けました。そして、自宅で仕事をしていれば、家族と離ればなれになることはない、ずっと家族と一緒にいられる、僕はもっと家族と一緒にいたいという強い思いにとらわれました。いま思うと、研究会でぼろぼろ泣いてしまったのは、震災以来、僕自身もトラウマになってしまっていたからかもしれません。

その後は、機会に恵まれてインターブックスから東北や熊本の震災後の現地での救助や復興活動、研究に関係した仕事が次々にやってきて、どれも感動しながら翻訳に向き合いました。人を助けよう、人のためにがんばろうと活動する人たちに胸を打たれて、それこそ泣きながら翻訳をしました。

翻訳者 ジェームス・ワット
PHOTOGRAPH
國𠮷 理恵
LOCATION
BUNDAN COFFEE & BEER