THINK POSITIVE
INTERVIEW
Kazuma
Higuchi

法務翻訳におけるAIの役割と翻訳会社の活用法

国際弁護士(日本・米ニューヨーク州)樋口 一磨 先生

地球規模での企業展開が加速する現在、日本企業は国際法務の現場において本当に十分な対応力を備えているのか、またそこでの「AI」の可能性とは…。
国際弁護士の樋口一磨さんにお話をうかがい、国際法務の現場の状況や法務翻訳をめぐる課題を考えました。

本コンテンツは、月刊誌『ビジネス法務』2020年12月号掲載の同名の記事の拡大版です。
(インタビュアー:松元 洋一 弊社代表取締役)

PROFILE
国際弁護士(日本・米ニューヨーク州)。慶應義塾大学法学部卒業、一橋大学大学院言語社会研究科修了、University of Michigan Law School, LLM 修了。Masuda, Funai, Eifert & Mitchell, LTD(シカゴ)勤務等を経て、弁護士法人樋口国際法律事務所(現)を設立。同事務所代表弁護士。 
https://www.higuchi-law.jp/
University of Michigan Law School, LLM 修了

「契約書」という予防線

先生の目からご覧になって、現在の日本の企業の国際法務の体制は、いかがですか。

整っている企業はわずかです。インハウス・ローヤーが何人もいて、実務レベルで英語ができるスタッフが何人もいてというところは、上場企業の中でも一握りです。売上げが数千億の規模になっても法務担当者は10人いれば多いほうです。英文契約書を完璧に書き直したり交渉にのぞんだりできるレベルのスタッフがいる企業となると、極めて限定されます。

いざトラブルになった場合のリスクは、国内よりも海外が相手になった場合のほうが大きいわけですよね。

何よりも法的手続をとるコストがとても高くなるため、よほど大きな案件でないと費用対効果がそもそも見合いません。数千万でとんとん、数百万だったら費用倒れになりますので、訴訟を起こさないほうがましという感じです。そのため、実際に日本から訴えるケースは限られます。日本の弁護士に代理人として相手と交渉してもらうだけなら、ある程度コストもコントロールしやすいし、もう一歩進んで現地の弁護士に代理人として交渉してもらう場合もコストの上限を決めて臨むことができます。しかし訴訟や仲裁という法定手続をはじめてしまうと、簡単に途中でやめるわけにはいきません。また、日本国内の紛争では、弁護士は着手金と成功報酬という伝統的な方式も多く、予算を組みやすいのですが、海外の弁護士の場合、紛争系もタイムチャージでの対応が基本となり、さらにそれをマネージメントする国内の弁護士も併用する場合は、その弁護士も通常はタイムチャージになりますから、コストは青天井になってしまいます。さらに仲裁となると、弁護士のほかに仲裁人の報酬が1時間5万円かかります。つまり、こちらから訴えるのは、かなりハードルが高い。債権回収にしても国内だったら100万円、200万円でもやりようがあります。弁護士も慣れているし、顧問弁護士なら費用の折り合いもつけやすい。だけど海外の場合、数百万円ではお話にならないし、数千万円でも厳しいです。

トラブルがそこまで発展しないように、予め十分に体制を整えておく必要がありますね。

トラブルというのは、いきなりそういう事態になるのではなくて、必ずその手前に話し合いがあって、それでダメな場合に「もう訴訟か仲裁しかない」ということになるわけです。そしてその「手前」で、よりどころになる唯一のものが契約書です。国内の場合、日本人特有の、よくも悪くも信頼関係をベースとする文化があって、契約書が手薄でもなんとか話し合いで解決する場合も多いかもしれません。ところが、言語も文化も考え方も全く違う相手と「言った」「言わない」という論争になると、契約書がすべてのよりどころです。ですから国際取引では契約書の重要性が一段と高いのです。皆さん、そこにどれだけコストをかけて注意を払っているでしょうか。

予防という意味でも、契約書をよく読み込んで、できるだけ自社に有利なものを作っておく必要がありますね。

契約書をしっかり作ることの意義の9割は予防ですよ。もちろん裁判になったときに有利になるということも大事ですが、裁判になった時点で相当な負担が生じます。そもそも紛争にならないように、そして紛争になったとしても法的手続に至る手前の交渉で有利に使えるように、という二重の意味での予防になります。

契約というものに対する考え方は、我々日本人が考えている以上に国や地域によって幅がありそうです。

取引先によって契約書の重みが変わることは確かにあります。欧米には契約書を重視する文化があります。「契約書に書かれている」ことの重みが全然違うので、契約書に書かれていれば、すっと引いてくれることもあります。逆に、日本人にありがちな「そんなことは書かなくてもわかってもらっていると思っていた」という言い分は欧米の企業には通用しません。「メールに書いてある」と言っても「契約書の条項に入っていません」と言われてしまいます。他方、アジアなどの新興諸国では、契約書に対する意識は低い傾向にあります。とはいえ、やはり契約書の記載が議論の出発点であることに変わりはありません。先方が契約軽視だからこちらもいい加減でよいということではなく、それならそれでとことん有利な内容にしておくことが、後で身を助けることになります。

気軽にいろいろな意見を求められる弁護士の存在

医療の世界には、セカンド・オピニオンという考え方があります。企業のみなさんにも、気軽にいろいろと意見を求められる相談先があるとよいと思うことがあります。

紛争系などの案件では、弁護士によってかなり対応方針に違いが出てきますので、他の弁護士にも意見を求めることはかなり有効です。契約のような予防型の案件でも、どれくらい細かくクライアントのニーズや状況を汲み取って反映できるかは弁護士によって個性が出る、つまり差が出てきます。その契約の全体においてどの条項が大事かというバランスや重みを意識しながら、どの条件を死守するか、どの条件は譲歩してもよいかという交渉も意識したアドバイスをする人がいれば、ただ平面的に字面だけを見て、これは問題、これはリスク、あとはご判断くださいと知らせてくるだけの弁護士もいます。後者のパターンは、弁護士にとってはある意味楽なので、実際は結構多いと思いますが、クライアントの本当のニーズには応えられていないと思います。

契約書でも弁護士の個性が出るというのは意外です。

弁護士として、自分が述べたことに責任を持ち、リスクを取る覚悟も持った上で、一歩踏み込んだアドバイスができるかによるといえます。後になって「あの弁護士がああ言ったからこうしたのに」ということになると困るので、どうしても「リスクは全部お伝えしましたよ。あとはそちらの経営判断で」という対応になりがちです。それをきちんと判断できる企業であればよいのですが、実際には「だからどうしたらいいのかを教えてほしいのに…」と消化不良となる企業が多いです。一弁護士として、「ここは譲ってでも、ここを必ず通しましょう。譲るならまずはこれくらいのトーンでいってみましょう」と、具体的なアドバイスをすることが本来求められていると思いますよ。ただし、弁護士としてもリスクを取る以上、クライアントとの信頼関係ができている必要がありますが…。

弁護士さんにもいろいろなタイプがいるのですね。

サッカーでいうと、シュートは豪快で得意だけどディフェンスができない人、逆にのらりくらりディフェンスは得意だけど決めきれない人、攻守のバランスが良い人など、個性がありますので、適材適所なんです。実際は、やはりバランス感覚とメリハリが重要です。守りながら攻める機会を待ち、森と木を両方みる。契約においても、相手が気軽にサインをしてくれそうであれば強気の内容にしておく、あるいは突き返されるとわかっている内容を書くと結局スピード感が落ちるから、重要な部分だけはしっかり書いて他はトーンを落とす、といった具合で、クライアントやビジネスによって求められるバランスが異なります。それは共同作業となりますので、いざというときによい仕事をするためには、やはり日常的なコミュニケーションが大事です。ですから連絡をするのに遠慮や気兼ねをするような関係ではだめなんです。いまの弁護士が気軽に相談できないような人だったら、考えたほうがいいですよ、と申し上げたい(笑)。

そのケースって多いと思いますよ。「顧問の先生がこう言っているから」とか「先生に聞いてみなくちゃ」と、弁護士との付き合いが受け身になっている法務担当の方、多いです(笑)。

国際弁護士(日本・米ニューヨーク州)樋口 一磨

いま、国際法務の現場でAIは…

さて、先生は国際法務の現場の方と接する機会も多いと思いますが、翻訳における皆さんのご苦労と、機械翻訳の活用状況については、どのようにお聞きになっていますか。

先日、一部上場を含む法務担当者の方々からお話をうかがったのですが、やはり翻訳作業の工数と、翻訳に伴う内容のゆらぎについて悩まれていました。翻訳については、決裁のため、ほとんどすべての英文契約を和訳されている企業も少なくありません。この点は、多くの企業でAIによる機械翻訳を取り入れており、かなり便利になったとのことでした。しかし、内容の修正についてはAIを利用できず、引き続きご苦労されているようです。

具体的にはどういうことでしょうか?

英語にかぎらず外国語で提出された契約書の概要をざっと理解するのにはAIは大変有用です。スピードも速いしコストも安い。しかし、概略をつかむ範囲であればよいのですが、たとえば修正した日本語訳版のニュアンスをオリジナルである英語版に正確に反映する作業はAIには難しいです。またもちろんAIは相手と交渉はしてくれません。皆さんにどうしているかと訊ねると、「そこは自分たちでやっているから、非常に不安だ」と口を揃えて言います。

そこでは、国際法務に精通した弁護士の力が必要になりますね。

法律的な観点で修正し、それを正確に言語化するというのはまさに弁護士の仕事です。もっとも、優秀な翻訳者であれば、かなりの精度で適切な訳出ができる印象です。なお、契約書などは、細かなニュアンスも大切ですので、日本語版を作る時点で正確な翻訳がされていないと、その後、修正を英語版に正確に反映するときに困ることになります。

株式会社インターブックス 代表取締役 松元 洋一
弊社・松元

AIによる機械翻訳は、どこまで使えるか

知財の翻訳の世界になりますが、私の知り合いの国際弁理士は機械翻訳をチェックのために使っていると言っていました。自分が翻訳したものを機械翻訳で逆翻訳し、原文と照らし合わせて、大きなミスがないかどうかチェックしているそうです。人間の作業を補完するという意味で機械翻訳は有用ですね。

AIを補完的に使うという発想は法務翻訳においても妥当します。基本的に人が翻訳をしつつ、AIによる機械翻訳で漏れなどをチェックするという活用方法もあると思います。

AIによる機械翻訳と一般に言われていますが、我々の業界ではニューラル機械翻訳(Neural Machine Translation)の意味で使っていて、これまでの「ルールベース機械翻訳(RMT)」や「統計的機械翻訳(SMT)」とは異なる、ディープラーニングを利用した機械翻訳エンジンです。今までの機械翻訳とは違い、流暢な翻訳文を作成できるのですが、問題点もあります。それは「訳抜け」や「湧き出し」(文が勝手に入り込んでしまうこと)が生じることです。なぜこのようなことが起こるかは、ニューラル機械翻訳のエンジンがどのように翻訳文をアウトプットしているのかがブラックボックスであるため、そのロジックをたどることができません。契約書など正確性が問われる重要文書においては厄介な現象と言えます。翻訳の正確性が完全に保証されない以上、ニューラル機械翻訳では、人手によってすべての訳文を原文と突き合わせてチェックして確認・修正するプロセスが必須となります。

「訳抜け」ですか。

はい。AIによる機械翻訳は、人が翻訳したものに比べると、この部分をこう訳したんだなというふうに対応がつかみにくいので、抜けや間違いに気付きにくいし、手直しがやりづらいんです。機械が翻訳したものを人が手直しをする工程をポスト・エディットといいますが、AIの吐き出したものは、それがすごく骨が折れるんですよ。

英語版契約書の作成の依頼が多いのですが、そこでよくあるのが「社内のそれなりに英語ができる者がとりあえず英訳したもの」をくださるケースです。つまりそれで工数=コストが大幅にセーブできますよねということなんですが、実は英訳が正確かどうかを確認する作業が、普通にゼロから翻訳する場合とあまり変わらないんです。ブロックでおおまかな意味合いだけを追っていくんだったらいいんですけど、一字一句を対比していくと、すごく時間がかかります。英訳の精度が100%に近ければチェックも早いんですが、ひっかかりながらだと時間がかかる。だから実際にコストが安くあがるかどうかは翻訳のできしだいです。その意味でも翻訳会社に翻訳をしてもらって、翻訳としては正確だという保証があるものをいただければ、たいへん楽です。安心して見られるし、コストも抑えられます。もちろん、翻訳会社と訳者がきちんとしていることが前提です。

弊社でもいろいろな機械翻訳エンジンを検証して、用語統一の問題などは少しずつ改善が見られますが、未だ訳抜けや湧き出しの問題は解決に至っていません。ですから、現時点での機械翻訳の活用としては、大量の文章を高速で翻訳して概略をつかむようなことには向いていると言えます。

AI・翻訳会社・弁護士の役割分担

現時点での機械翻訳の限界を把握した上で、機械翻訳とプロフェッショナルを擁する翻訳会社、そして弁護士をどう使い分けるかという判断になるのでしょうか。

たとえば、既存の日本語版をベースとした英語版の契約書の雛形が欲しいとき、まず日本語版を正確に英訳した上で、内容を海外仕様に修正追加するという流れで作業することが多いです。

まず英語に、そしてそれを海外仕様に。

内容を海外仕様にする作業は弁護士しかできませんが、進め方は2通りあります。1つは英訳の段階から弁護士に依頼するパターン、もう1つは、まず翻訳会社に英語版を作ってもらい、それを日本語版と一緒に弁護士に渡すパターンです。その企業と弁護士との関係にもよりますが、単発で依頼したら後者のほうがコストは安い。私でしたらインターブックスさんにご協力いただくことで安く抑えることができますが(笑)、一般に弁護士に翻訳作業をさせれば当然料金は跳ね上がります。ですから翻訳会社に英訳を作ってもらい、それをベースに修正を弁護士に頼めば、コストを抑えられる場合が多いと思います。弁護士の売上げは下がりますが(笑)。

逆に私たちのところには「リーガルチェックもできませんか」という問い合わせが多いんです。翻訳会社が法律的な判断をすることはできないので、国際弁護士をご紹介するようにしていますが、それも含めてトータルサポートできればと考えています。

企業は、機械翻訳と翻訳会社をうまく使い分けることになります。AIと人を比べたとき、スピードやコストでは、人はもうAIにはかないません。しかし、機械翻訳の精度がどんなに上がっても、品質は100%にはならない。スピードとコストが重視される場面では機械翻訳でもよいと思いますが、内容の正確性や品質が問われる重要な場面では機械翻訳に依存するのは危険であり、やはり人が対応するべきです。ですから、人による翻訳のニーズは必ず存続します。そのかわり、人は、AIができない部分への対応力に磨きをかけるよう努力を続けなければいけませんね。

はい。そこは肝に銘じて…。

国際弁護士(日本・米ニューヨーク州)樋口 一磨

ポスト・コロナに向けて

最近、国際案件で増えているものはありますか。

今年は企業活動が世界的に止まってしまいましたからね。

新型コロナウイルスの感染が拡大する直前のころは、どうだったでしょう。

私が感じている範囲では、オリンピックの影響もあるのか、インバウンドの案件が増えてきている印象はありましたね。

訪日外国人の数もこの4月まではものすごい数でしたからね。

観光だけではなくビジネスでもお金を落としてもらえるように入管政策を緩和したこともあるのでしょう。税制などが中途半端で後手にまわっているため、シンガポールや香港のようなハブにはなれないとは思いますが。中国やインド、ヨーロッパなど、インバウンドは上向いてきたかなという印象があったところに、この新型コロナウイルスの爆発的流行…。

コロナが落ち着いたらどこに行きたいかというアンケートをとると、日本が一番人気なんだそうです。いずれまた、どっと日本に人が来る可能性は非常に高いですよね。

少子高齢化が進む日本で、経済を維持していくためにはインバウンド需要の喚起が必須です。それは、仮にオリンピックが中止になったとしても同じです。そうなると、国内でも外資系の企業と取引する機会はどんどん増えてきます。外資系の企業でも、担当者は日本人で、契約書も日本語で、という相手であればよいのですが、マネージャーは外国人で、契約書は日本国内の取引なのに英文ということも珍しくありません。そこで慌てて英語ができるスタッフを雇用しようとしても、すぐには難しいとなれば、翻訳などをして対応するしかありません。

我々も、そのような企業のお役に立てるように引き続き頑張りたいと思います。本日は、長時間にわたって貴重なお話をありがとうございました。

PHOTOGRAPH
松島 孝人
LOCATION
樋口国際法律事務所