2023.09.06
出版関連

著者インタビュー|イスラームで許されるビジネス ハラール産業とイスラーム金融

2022年10月に出版された書籍『イスラームで許されるビジネス ハラール産業とイスラーム金融』に関連して、私たち日本人にとって馴染みが薄いイスラーム文化について舛谷鋭先生と福島康博先生にお話を伺いました。
 

普遍的に残る本を

―『イスラームで許されるビジネス ハラール産業とイスラーム金融』。なかなか日本社会ではまだ馴染みがないテーマだと感じています。今回、どういった経緯で出版する運びに至ったのでしょうか。
 
(舛谷)インバウンドも徐々に活発化してきているという状況で、(イスラーム圏である)インドネシアなども人口が増えて、経済も活発化しているので、ハラールビジネスは、今まで日本ではなかなか展開が難しかったと思うんですけど、今後大きく発展するだろうということを見込んで、こういった本があると社会的な意義があるのではないかと思い、企画を考えました。
イスラームというと中東やペルシャ湾岸のエリアをイメージされる方が大半だと思うのですが、東南アジアの国々も同じくイスラーム圏なんですよね。インバウンドの需要でいうと2013年頃からイスラーム圏からの訪問が増えていて、将来的には5000万人の訪日が見込めるという状況です。今回福島先生にお声がけしたのは、新型コロナウイルス流行以前の2018年頃には『ムスリムおもてなしガイド』を日本で発行されて、それから先生のフィールドであるマレーシアでは、現地の日本人に対してイスラームについての情報を日本語でウェブ媒体で連載されていて、その情報は一冊の本として紙媒体で記録しておくのが重要だと考えたんですよね。
 
(福島)ありがとうございます。いまご紹介いただいたようにマレーシアでは「マレーシアデイズナビ」というウェブ通信がありまして、そこで8年ほど「イスラーム金融の基礎知識」というものを連載させていただいています。マレーシアに在住されていたり、現地でビジネスを展開されていてもなかなかイスラーム金融については詳細がわからないという声が多く聞かれます。そこで、イスラーム金融に関する内容をQアンドA形式で分かりやすく答えていくという連載を400回以上続けているんです。
 
(舛谷)ウェブ媒体だとどんどん情報が更新されていくので、新しい情報が上書きされてしまうんですよね。紙の本っていうのはその時点での情報を「長期保存する」という役割があると感じているので、ウェブだけに留めておくのではなく書籍の形にする意味があると思うんですよね。
 
 

―福島先生のマレーシアでの連載はどういった内容を書かれているのでしょうか。
 
(福島)QアンドA形式と言いましたが、実際は質問も私が考えているんですけど、例えば「イスラーム金融ってなんですか?」という質問にたいして「こうですよ」と答えたり、あるいは「最近こういった動きがありましたが、その背景はこういう背景があったんですよ」というようなものですね。あとはマレーシア中央銀行の総裁の発言の解説であるとか、さまざまですね。


 
―今回発行した書籍『イスラームで許されるビジネス ハラール産業とイスラーム金融』はどういった構成なのでしょうか。
 
(福島)そうですね。今回は二部構成になっていて、前半はイスラーム金融について、後半が観光の話という構成になっています。観光の話といいつつも、ムスリムが日本で暮らすという点をテーマにして、同じ対応でも短期間の滞在者ならではの対応もあれば長期間の滞在者ならではの対応もあるので、そういったところを含めて議論しています。
マレーシアでの400回の連載を凝縮しつつ、時事的な内容も加えて一部書き下ろしています。
 
(舛谷)今回は日本国内の日本人に向けた本ということで、インバウンドでの短期滞在者はもちろんですが、例えば代々木上原のモスク。あれは戦前にできているんですよね。そういったことからわかるように、日本社会のなかにも、もうイスラーム社会というものが形成されていて、その定住者向けの配慮(今回の本では「配慮」という言葉を使っていますが)のような内容ですね。
福島先生以外にも一般読者を対象にしたイスラームに関する情報発信をされている方もいらっしゃいます。ただ、信頼できる情報かっていうとそうでないものが多いのが現状で。誤った情報はイスラームに対する忌避感を助長させるような危険性があると思っています。もちろん不適切な情報は淘汰されてはいくので、そうなると繰り返しにはなりますが、信頼できる情報の記録と保存が必要だと思っています。
実は、本書を福島先生が書かれているときに私はマレーシアにおりましたので、中には「この写真を撮ってきてください」ということで撮ってきたものもあり、比較的新しい写真が入っていますね。掲載している写真が古いと、本自体が古びて感じるようなところはありますが、全体として本書の内容は流行りの時に役立てば良いという作りではなく、紙の本で20年、30年と残せることに意味があるようなものですね。
 
 
―さて、ハラール表示についてお伺いできればと思います。ハラールというのは、その社会全体がハラールだと思うのですが、例えばムスリムだけで完結する社会があるとして、その社会においてハラール表示というものは存在するのでしょうか。
 
(福島)そうですね。ハラール認証というのは、ハラールかどうか誰かに確認してもらう、その確認の結果、認証を与えるというのがハラール認証制度なので、現実にムスリムだけで完結する社会があるかは別にして、もしそういいた社会があるのであれば、「これは誰が作ったものである」とか「これは誰が提供してくれたものである」、さらにその相手がムスリムだとわかっているのであればハラール認証というものは必要ないと思います。
マレーシアや東南アジアでハラール認証が始まったのは1970年代ですが、その頃マレーシアでは食品の輸入が増加してきた時期です。同じムスリムの国から輸入するとは限らないので、輸入した食品が誰が作ったのか分からない、要するに何が入っているか分からないという状況下でマレーシア政府が国内の消費者保護のためにハラール認証を始めたという側面が強いですね。
 
(舛谷)マレーシアやインドネシアは地域によってムスリム以外の比率も高いから、よりハラールであるという表示が必要な状況にありますね。
私がマレーシアで暮らしていたときに「ここには(ムスリムは)入ってはいけないよ」といった形で表示されているのを多く目にしました。例えば中華料理を食べたいと思ったときに、イスラームを信仰している自分は「中華料理」というジャンルではなく「ハラールかハラールではないか」という軸で決める必要があるということなんですよね。
多民族国家で、ハラール認証の必要性がありうまく発達したマレーシアでの制度を日本に持ち込まれているということですかね。
 
(福島)はい、そうですね。
 
(舛谷)だから実はイスラームが人口のほとんどを占めている国だとこの認証制度は発展していないと思うんですよね。多民族国家での異文化交流を楽しむためのものなのかなと。

“Non halal”という表示

(舛谷)そういえば最近面白かったことがあって、マレーシアのマラッカという日本でいう京都・奈良のようなところを訪れたんですけれども。マラッカにはチャイナタウンがあって、そこはそれまで華人たちが自分たちの文化を楽しむエリアだったんです。
ところが、新型コロナウイルスの流行で国内で異文化交流を楽しもうという流行があって、マレー人たちが大勢訪れるようになったと。そうしたら、(マラッカの)ある通りでは“Non halal”という看板が並んでいたわけです。わざわざ排他的な看板を出すなんて…と思ったんですが、それまではムスリムが訪問しなかったから看板を出す必要はなかったけれど、

「ここはハラールじゃないですよ」という情報提供をお店がするっていう状況になったんですね。マレーシアのような国民の6割がイスラーム教徒を抱える国でも、 “Non halal”という否定語で表記することが受け入れられているのだから、福島先生がこの本を書かれたというのが、日本のような非イスラーム諸国と適合する部分があるんじゃないかなと思った次第です。
 
 
―イスラーム諸国の方々は日本を訪れる際に、ハラールについて意識されていると思います。具体的にはどのようなことを気にされているのでしょうか。
 
(舛谷)日本で楽しみにしていることの一つがお土産を買うことだと思うんですよね。よくあるシチュエーションとしては、お菓子を買うとき、訪日した彼らが何をしているかというと、成分表を見たりあるいはスマートフォンのアプリでお菓子をスキャンしてその製品が大丈夫かということを確認しているんですよね。例えばお菓子によく使われているショートニングという材料、これは豚の脂の可能性が高いから排除するなんてことをしているんです。ハラールと書いていなくても、自己配慮で旅行を楽しんでいるという姿が見えます。当事者も配慮する、それから日本側でも配慮する、そうすることでお互いに気持ちよく過ごせるんだと思うんですよね。

ことばの持つ意味

―ハラール「対応」、「配慮」、「ムスリムフレンドリー」。いまの日本ではこういった表現を目にする機会があります。
 
(福島)ムスリムフレンドリーという表現がよく使われることがありますが、かなり人によって使う意味が違っている場合があります。
例えば、「うちの店は元々日本人向けだから、豚も使うしアルコールも入っているよ。でも言ってくれればトンカツの代わりにチキンを出しますよ」というレベルなのか、「ハラール認証を取っているからムスリムフレンドリーだ」という人もいる。ムスリムの消費者側も「フレンドリーなんだから当然ハラール認証を取っているだろう」と考えたりもする。さらにいうと、わざわざフレンドリーと表記しているから「お土産もつけてくれるのかな」と思う人もいる。こんな風に誤解を呼ぶ表現だと考えています。
 
(舛谷)国際的な旅行博に行くと東アジアの非イスラーム諸国の中で韓国や台湾はインバウンドでイスラーム諸国を呼び込もうとしているのが見えるんですが、彼らが使っているのは「ムスリムフレンドリー」っていうのが多いんですよね。
僕は個人的には日本はハラールじゃなくてムスリムフレンドリーで良いんじゃないかなと思っていたんですが、そのフレンドリーにはそんなに幅があるってことなんですね。
 
(福島)そうですね、ハラール認証であれば共通のレベルがあって、それをクリアしているから認証があるっていう分かりやすいものですが、一方ムスリムフレンドリーだとそのフレンドリーという言葉のニュアンスに差があります。ただ、「ここまでやらないといけない」というのはハードルが高いから、そうではなくて、「うちはここまでできます」「これはできません」というような情報をオープンにして、ムスリム側に判断を委ねるというのが良いのかなという気もします。
 
(舛谷)そこはポイントですよね。騙すようなことになっては良くない。だから開示して、選んでもらうってことですよね。
あとは国単位ではなく、個人の心の在りように左右される面もあると思います。例えば観光資源として、寺院や教会という宗教的な施設が含まれることがありますよね。ほかの宗教の施設だから見学したくないという人もいれば、ぜひ見たいという人もいる。ただ、旅行者を集めるときに大きくほかの宗教施設を掲げるというのは危険を伴う場合があると思います。でも、実際現地においては個人の判断に委ねられていると理解してます。
 
(福島)先ほどのムスリムフレンドリーという言葉に幅があるように、信仰しているムスリム側にも幅があるんですよね。食事でいえば、きちんと礼拝しているからお酒を飲んでも構わないという人もいれば、絶対にハラール認証のものしか口にしない人もいる。
イスラームという宗教、教義や教えも一枚岩でもありませんし、信仰している方も十何億人が全く同じ行動をするわけではありません。それぞれ自分なりの基準があって、それに基づいて行動しているんですよね。だからこそホスト側が、消費者が求めるような適切な形で対応するのが重要になってくるのかなと思います。
 
(舛谷)選択肢を用意して、ゲスト側が選べるように、分かるように開示しておくことがやはり重要ということですね。
 
 
―今回の書籍はイスラーム金融について触れている内容ですが、イスラーム金融についての一般書の中ではかなり手に取りやすく、分かりやすいものになっていると感じます。このタイミングでこういった書籍を出版する意義についてお伺いできますでしょうか。
 
(舛谷)そうですね、似たような本も一般書で何冊かはあると思いますけど、内容が古くなってしまっているものも少なくないですね。
ムスリムというのが現代の日本において珍しいものであるというのは、多くの方が誤解されていることだと思います。実はイスラーム関係の研究会や機関は多くあるんですよ。ある程度研究している人たちがいるということは、日本ではイスラーム研究がブルーオーシャンじゃないということは意識していただきたいところですね。
日本におけるイスラーム宗教の研究というのは古くからされています。世界時事的なところでいうと、新井白石の『西洋紀聞』や岩倉使節団が触れていたりとか、東洋史の研究として明治以来ずっとあるんですよね。昭和初期には日本国内でイスラームへの関心のピークがあって、先ほど話した代々木上原のモスクは1938年に出来上がっていると。その後はコーランの原典翻訳がなされたりはしたものの関心は少し薄れつつあったんです。戦後少し時間が空いて、石油を求める中で中東の方に行くとイスラーム教徒がいて、そこでまた関心が高まったという背景があります。
昭和以降でイスラームへの関心がピークとされているのが、平成のインバウンド後ということで、今回の本はこの平成インバウンドの後に対応しているということですかね。
 
(福島)私はイスラーム金融がスタートなので、その感覚で言うとオイルとインバウンドの間にバブルの崩壊があって、日本の資金が足りないから中東からオイルマネーを引っ張るにはどうしたら良いのかという議論の中で、「イスラーム式の金融があるなら日本でもこれを導入すればオイルマネーを引っ張ってこられるチャネルになるだろう」という動きがあって、2000年代前半頃に日経新聞でイスラーム金融の連載があったりと、ひとつの盛り上がりがあったのは確かです。
その流れの中で、イスラーム式の金融であるとか食品であるとかっているところでハラール食品が登場して、さらにはインバウンドで緩やかな盛り上がりがあるのを見ているかなという印象です。
 
(舛谷)ところがそのタイミングでインドネシアで味の素事件が起こったという。
 
(福島)いまだにその味の素事件で二の足を踏んでしまうという話は聞くことがありますね。
 
(舛谷)2000年代初頭頃から観光学部で教えていると、エキゾチシズムからイスラームの建築や文化について関心を持って卒論を書いたり、その知識を持って就職活動を行う学生たちがいたけれど、日本の企業側が受け皿を持っていなくてイスラームの知識をもって就活に成功したという学生が現れるのは2010年代後半になってからだったんですよ。2000年代初頭に就職活動をしていて現場でイスラームの話をすると触れない方が良いだろうという空気感が漂ったそうで、インドネシアの味の素事件はそういった恐怖感を植え付けてしまったということでしょうね。
そんな低迷期も超えて、いまの日本では平成インバウンドを経てイスラーム諸国からの訪日が増えていて日本国内での関心が高まっているこのタイミングでこういった本を出せたというのは非常に良かったと思いますね。

イスラムなのか、イスラームなのか

 
―今回は「イスラム」ではなく「イスラーム」という用語を使用されていますね。
 
(舛谷)これは意識的にそうしています。用語の話でいうと、1875年にアラビアンナイトの翻訳が始まるわけですけれども、当時からこの宗教を「回教」と呼ぶのか「イスラム」と呼ぶのか「イスラーム」と呼ぶのかと表記の揺れが内包されてきました。
イスラーム金融を研究されている方々は原始から「イスラーム金融」としていたのでしょうか。
 
(福島)実は私の博士論文は「イスラム金融」と伸ばしていないんです。2000年中頃くらいからアカデミアの分野で「イスラーム」と伸ばそうという動きになってきました。新聞などのメディアで表記する際に、字数を削るために伸ばさないとしていたようです。
アラビア語の文字表記では伸ばしているのでその表記に従うのか、話し言葉だと伸ばさないとか長らく論争があったわけですが、今では書き言葉の方に合わせて話し言葉でも使うことになっていて、アカデミアの分野では伸ばす方が一般的ですね。
 
(舛谷)ほかに用語で気にされていたことはありますか。
 
(福島)アラビア語の単語というか、アラビア語やマレー語を起源にする言葉を本書でも多く扱っていますので、その解説が必要だったり、より一般的に分かりやすいような表現を心掛けました。そのままカタカナで書くと表記がどうなるか少し難しい部分もありましたが、可能な限り一般的なものを採用することにしました。
 
(舛谷)そのあたりのところで、用語解説を付けていただいたということですね。
 
(福島)日本でもイスラーム系の辞書のようなものは何種類か出ていますが、本書を読みながらほかの辞書を参照するという方は多くないと思いますので、用語解説が本書にあることは非常に有効ではないかと考えています。
 
 
―本日はありがとうございました。
 
聞き手:インターブックス広報企画室

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