2026.09.01

歌うようなロマンス語派の魅力

歌うようなロマンス語派の魅力

多言語を学んでいると言っても、おのずからメインの重点を置く言語というのはあるものです。

私の場合、それはイタリア語です。なぜイタリア語なのかという理由はあれこれ挙げようとすれば挙げられるでしょうが、結局のところ「性(しょう)が合う」としか言いようがない気がします。

習熟するしない、という問題とは別に、性の合う言語と反りの合わない言語というものはある気がするんですよね。反りが合わなくても努力次第で上達はするでしょうが、性の合う言語のように楽な気持ちで深く浸かることができる(妙な言い方ですが)気持ちになれるというのとは少し違うのではないか、と。これは私の単なる雑感に過ぎませんけれども。

さてイタリア語を含むロマンス語派にはフランス語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語などの公用語以外にもスペインのカタルーニャ語、ガリシア語、フランスのオック語、プロヴァンス語、スイスから北イタリアにかけてのレト・ロマンス語群、コルシカのコルシカ語、イタリアの諸方言(サルデーニャ語、シチリア語、ナポリ語、ヴェネト語等々)、モルドバのモルドバ語(ルーマニア語の方言)などなど、細かく分類すればきりがないほどの地方語が存在します。

その他にもユダヤ人が用いるユダヤ・スペイン語や、スペイン・ポルトガル・フランスなどの旧植民地で話される多様なクレオールがあります。

これらの言語の源流は言わずと知れた古代ローマのラテン語です。ギリシャ語と並んでヨーロッパ文明の根幹をなす言語ですが、ギリシャ語は比較的孤立した語派なので、言語的影響としてはラテン語の力がより大きいと言ってもよいでしょう。

中世になってもラテン語は公式の文語として教会文書や公式文書、学術などに広く用いられました。ですが民衆はラテン語から派生した口語を話しており、それが現在のロマンス諸語の形を取って行くわけです。中世の古プロヴァンス語によるトルバドゥール(吟遊詩人)などの文学的結実もありました。

以上がロマンス語の概論的説明なのですが、ではこれらの言語に共通な特徴は何でしょうか? 

私がロマンス語派に対していだくイメージは、「発音が開放的でメロディアスな言語」という印象です。実際、他のヨーロッパ言語群と比べて母音の占める割合が多い(特に語尾において)と思われるので、日本人には馴染みやすい音的特徴を持ったグループです。

「フランス語は発音が難しいぞ」とおっしゃる方もいるでしょうが、フランス語はこのグループの中では例外的で、[ø] とか [œ] とかいう微妙な母音や、鼻母音([ɔ̃] [ɑ̃] [ɛ̃] [œ̃] )などが現れるので確かに少々厄介です。

またスペルと発音の乖離が大きい(ただしかなり規則的)のも初心者が手こずる点でしょう。しかしその他のロマンス語は発音がおしなべて聴き取りやすいので、入門時に感じる困難は少ない方でしょう。

文法的にはゲルマン語派とどちらが難しいのか、というのは言語ごとに状況も違うので一概には答えられない問題ですが、大づかみに言ってあまり大きな差はないと私は思っています。

英語や北欧のゲルマン諸語のように変化が簡略化した例もあるので、若干ロマンス語派の方が平均的には難しいと考えることもできるでしょうが、あまり意味のない比較だと思います。

発音的にフランス語は例外だ、と述べましたが、文法的にはルーマニア語が若干毛色の変わったタイプだと思われます。

バルカン半島で隣接している様々な系統の言語(スラヴ語派〔セルビア語、クロアチア語、マケドニア語〕、アルバニア語、現代ギリシャ語、ルーマニア語など)がその帰属の違いとは関係なく類似した文法形式を取る現象を「バルカン言語現象」と称しますが、ルーマニア語もその影響で他のロマンス語とは少し変わった変化をします。

たとえば英語のtheに当たる冠詞が名詞の後ろに接続し、かつ変化する(băiat〔a boy〕→băiatul〔the boy〕、 băiatului〔of (to) the boy〕、 băieţi〔the boys〕、 băieţilor〔of (to) the boys〕)。「バルカン言語現象」は他にもいくつかありますが、それらはバルカンの全ての言語に同じ形で現れるわけではなく、また現象によってはそれが現れない言語もあります。

とにかく、ルーマニア語はロマンス語としては独特です。明朗な発音はロマンス語らしいのですが。

もう一つ、私が個人的に思い入れのある言語を紹介しておきましょう。それは19世紀末(1898年)に最後の話者が道路工事の発破の爆発に巻き込まれて死亡し、その命脈が尽きたダルマチア語という言語です。

これは他のロマンス語と同じくラテン語を源流とする古い方言で、イタリア語の方言と言ってもいいかもしれませんが、周囲の方言との意思疎通は難しかったようです。日本語と沖縄語の違いに似ているかもしれません。

最後の話者トゥオネ・ウダイナ(「トゥーネ」と表記してもよいかもしれません。発音が微妙だったらしいのです)は今のクロアチアのクルク島(当時のヴェッリア島)に住んでいて、亡くなる直前にイタリアの言語学者マッテーオ・ジューリオ・バルトリが本人に3回会って言語調査をしていました。

その結果を報告した著書が «Das Dalmatische»(『ダルマチア語』、1906年刊、諸事情からドイツ語で出版された)です。後年2000年にイタリア語に翻訳(«Il Dalmatico»)されました。ただし英訳も邦訳もありません(私は個人的にこの本の翻訳を行っているところです)。

この言語の実例を最後にご紹介しましょう。ウダイナが17歳のとき、父親が仕事にかこつけてスラヴ系の三姉妹がいる家へ彼を行かせたのですが、実はそこの娘フランチェスカと結婚させようという目論見があった、というのです。

el mi tu͡ọ(ʹ)ta e-l sú fero d-akṷárd ke fùrme el matrimóń nojiltri dói̭; e dapú ju jai̭ kaminút — ju mi̭àt … vi̭ant kál … ē plé ! — a verbeník, per kost afúr del matrimóń, perkè i vetrúni fero konti̭ánti. ma jù se jai̭ stufát, perkò ju jai̭ avùt tái̭ma dei̭ tróki, de
ku͡ọ(ʹ)lke pítra ke-i me butúa e ke-i me dramúa, per la ninápta, perkè féro joi̭n paìs fori̭ást, ke jú noṅ konosúa naṅka joi̭n trók ke fero lu͡ọ(ʹ)k. e kosái̭k ju jai̭ pi̭érs la ninápta per kṷálp de koli tróki, ma ju jai̭ inparút la skòl di sláv, toč!

 

(わしの父親と彼女の親父さんは、わしら二人が結婚することで意見が一致していた;で、[それから]わしは——確か……20回……かそれ以上!——ヴェルベニコへ行ったな、その結婚の用事で、なぜなら年寄りたちが喜んでいたから。だがわしは困っていた、というのも[そこの]若い衆たちがわしに石を投げてくるんじゃないか、わしを殺すんじゃないか、いいなづけのことで、と思って恐ろしかったんだ、なにせ異国のことだ、そこにいた(その連中のうち)誰一人知り合いじゃなかったからな。そんなわけで、わしはいいなづけを失ってしまった、だがスラヴ語は覚えたよ(スラヴ語学校ってところだ)、全部な!)

当時のダルマチアではイタリア人とスラヴ人の民族的対立が激しかったようで、父親たちの目論見は水の泡と化し、ウダイナの淡い恋心も(「彼女はまだ生きているが」とウダイナは言っているので、後年まで気にかけていたのでしょう)はかなく消え去ったということです。こんな生き生きとしたことを語っている言語が滅んでしまったのです。

また長話になりました。そろそろお開きにいたしましょう。次回はスラヴ語派です。

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