翻訳コラム

COLUMN

第433回三国志

2019.06.12
通訳・翻訳家 伊藤祥雄

ちょっとバタバタしているもので、恐縮ですが、今日は三国志ネタです!

毎回三国志ネタを書く時にも触れていますが、三国志関連の言葉って“歇后语 xiēhòuyŭ”が本当に多いですね。“歇后语”とはいわば謎かけのような言葉遊びの一種です。例えばこんな感じ:

曹操诸葛亮
Cáo Cāo Zhūgě Liàng
曹操と諸葛亮(諸葛孔明のこと)

これだけだと何のことか分かりませんが、これが謎かけになっています。これはつまり何を言いたいか、それを相手に想像させる、というわけです。この“歇后语”の場合、その心は?というと:

脾气不一样
píqi bù yíyàng
性格が違う

曹操と諸葛孔明、性格が全く違うわけですね。そこから、何かを一致させようとしても無理だとか、AさんとBさんの性格は違いすぎて水と油だ、と言いたい時などに使うようです。

では、今日みなさんにご紹介したい“歇后語”は、こちら!

张飞战马超
Zhāng Fēi zhàn Mă Chāo
張飛が馬超と戦う

その心は?

不分胜负
bù fēn shèngfù
勝負がつかない

張飛も馬超も人名です。三国志が好きな人ならご存知でしょうが、劉備や曹操や孫権、諸葛孔明や司馬仲達ほどは知名度がありませんから、ご存知ない人も多いでしょうね。

張飛は劉備の義兄弟です。一騎当千のツワモノで、情にもろいところもありますが、暴れん坊のイメージで描かれています。

馬超は今の甘粛省のあたりの出身です。父親馬騰や弟たちが曹操に殺され、復讐心に燃え曹操を攻めますがうまくいかず、漢中の張魯の元に身を寄せます。

さて、劉備がいよいよ蜀の国を手に入れるために蜀に攻めよせた時、当時蜀を修めていた劉璋はどう防いでよいか分からず、境を接し敵対していたはずの寒中の張魯に援軍を求めます。その時援軍を率いたのが、馬超でした。

馬超は武芸においてはかなりの猛者で、世の人々は彼の雄姿を「錦馬超(きんばちょう)」と称えていたと言われるほどでした。劉備軍もうかうかしていられません。それほどの豪の者と戦うのであれば、劉備軍としても相応の猛者を差し向けなければ勝てません。

当時の劉備軍で馬超に対抗できる将軍といえば、劉備の義兄弟の関羽と張飛、古くから劉備に仕えてきた古参の趙雲くらいしかいません。そこで、張飛が選ばれて馬超と戦うことになりました。

さて、馬超は張飛の武勇を聞き知っていて、一騎討ちを申し込みます。そんなふうに挑発されて黙っている張飛ではありません。劉備の反対を押し切って馬超と一騎打ちを行います。

いずれも大変な猛者です。雲を呼び風を起こす竜虎の戦いを繰り広げます。とうとう日が暮れて暗くなってきても勝負がつきません。暗くなっては一騎打ちもままならんということでその勝負はお預けということになりました。

“张飞战马超”という“歇后语”はこの時の様子を言っているのですね。

さて、その後どうなったかを少しお話しておきます。

このまま一騎打ちを続けると、いずれどちらかが討ち死にしてしまいます。いずれも死なせるには惜しい武将なので、諸葛孔明が一計を案じ、張魯の側近に賄賂を贈って馬超の悪い噂を張魯の耳に入れるよう仕向けます。張魯はそれを信じ、馬超に過酷な要求を突き付けます。1か月以内に劉備軍を追い払い、蜀の国を攻め滅ぼすよう迫ったのです。困った馬超はある人から「君の父親は誰に殺された?曹操ではないのか?曹操と敵対する劉備を攻めて一番喜ぶのは、君の父親を殺した曹操ではないか!」と説得されて、劉備軍に投降し、その後劉備に重く用いられるのでした。

そう、結局馬超と張飛はその後仲間になったので、勝負はつくことがなかったのです。というわけで、“张飞战马超”は本当に“不分胜负”だったのですね。

いかがでしたか?三国志、興味のない人もいるでしょうが、結構面白いので、マンガで結構ですからちょっと読んでみてくださいね。

伊藤祥雄

1968年生まれ 兵庫県出身
大阪外国語大学 外国語学部 中国語学科卒業、在学中に北京師範大学中文系留学、大阪大学大学院 文学研究科 博士前期課程修了
サイマルアカデミー中国語通訳者養成コース修了

通訳・翻訳業を行うかたわら、中国語講師、NHK国際放送局の中国語放送の番組作成、ナレーションを担当

著書

  • 文法から学べる中国語
  • 中国語!聞き取り・書き取りドリル
  • CD付き 文法から学べる中国語ドリル
  • 中国語検定対策4級問題集
  • 中国語検定対策3級問題集
  • ぜったい通じるカンタンフレーズで中国語がスラスラ話せる本

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