翻訳コラム

COLUMN

第443回母語の大切さ

2019.08.21
通訳・翻訳家 伊藤祥雄

皆さんは中国語をなぜ勉強しているのでしょうか?

きっかけや目的は人それぞれでしょうね。仕事で使うから、中華ポップスが好きだから、中国のドラマや映画が好きだから、中国人の恋人がいるから、三国志が好きだから、漢詩が好きだから、などなど。

語学学校のようなところで教えたり、企業の研修で教えたりする場合は、皆さんそれぞれある程度しっかりした目的があり、特に企業研修だと目的もある程度統一されているのでやりやすいです。

しかし、大学ではまたちょっと違いますね。

大学生に中国語を教え始めて数年たちます。

多分、外国語学部の中国語学科や、中国文学科のような専門課程だと、みんな中国語に対しても興味があり、授業のモチベーションも高いのだろうと思いますが、第2外国語でなんとなく中国語を選んだ人が集まっているクラスだと、なかなか難しいです。

僕は、こういう学生にお教えする際、どんな学生にも共通している目的を強調するようにしています。それは、、、

日本語や日本の文化や社会を見つめなおすこと、です。

大学でどんな専攻を選んでも、必ず外国語を2つ程度は勉強しなければならないのはなぜかと考えたとき、僕は、日本語や日本文化や社会を客観的に見る目を養うため、ということに尽きると思いました。日本語や日本文化や社会は、日本人にとっては至極当たり前のものばかりで、客観的に見ることは難しいと思うのですが、外国語を1つ勉強すると、それだけでもう日本語をちょっと違う目で見ることができるようになりますよね。また、テキストの内容から、別の国の文化や社会の在り方を知ることになり、日本とはちょっと違うなとか、ここは同じだなとか、そういうことが分かるようになると、視野が広がると思うのです。これはどんな専攻を選ぶ人にも必要なことです。当たり前のことを当たり前と見ない目を養う。これこそが大学で外国語を学ぶ意義だろうと思うのです。

そう思って、僕は大学の授業では結構日本語にもうるさいです。日本語を見つめなおす前に、まず日本語を大事にしてもらわないと、客観的に見つめなおすことはできません。

というわけで、宿題で、日本語を中国語に訳す問題だけでなく、中国語を日本語に訳す問題もやってもらって、紙に書いてきてもらいます。

そうすると、ま~、皆さん日本語がいい加減なのですよね(苦笑)。字が下手なのは、僕も人のことを言えませんから仕方ないのですが、丁寧さがかけらもなくてグシャグシャっと書いていて判読不能だったり、句読点が皆無だったり、誤字脱字は気にしない、間違ったところを消しゴムできれいに消して書きなおさない。。。などなど。

全部やり直させます(笑)。

先日試験をやったのですが、こんな中国語を日本語に訳す問題を出してみました。

找到了,我就借给你。
Zhăodào le, wŏ jiù jiè gěi nĭ.

正解は「見つかったらあなたに貸してあげる。」でいいですね。実際多くの学生はそう書きたかったのでしょうが、90%以上の学生がこんなふうに表記していました。

「見つかったらあなたに借してあげる。」

僕自身、スマホやパソコンの影響でしょうか、漢字が書けなくなってきています。だから人のこと言えませんが、「借した」はヤバいですよねぇ(苦笑)。

このことだけでなく、最近の若者の日本語を見聞きするにつけ、もう少し言葉を大事にしてほしいなぁと思っています。変化するのは仕方ないけど、劣化するのはどうにも残念です。

皇后様の雅子様は、お父上が外交官でいらした影響で、小さい時を海外で過ごされることが多かったようですが、ご家庭での教育方針として「しっかりとした日本人として育てたい、家庭では日本語を話し、日本の習慣や行事を大事にしたい」というのがあったようです。国際人として活躍するためには、まず自分の日本人としてのアイデンティティを確立することだ、とお考えだったらしいです。

僕もそう思います。様々な国の人と話すような機会があると、たちまち私たちは日本の代表になってしまいます。その時「貸す」を「借す」なんて書いて教えてしまったら大変です(笑)。

それに、外国語のレベルを上げるには、自分の母語のレベルを上げなければなりません。外国語を勉強していて母語よりうまくなることはないそうです。だから、母語を高めていかないと外国語は自ずと頭打ちになってしまうのですね。

外国語に興味がある人ほど、母語にも興味を持ってもらいたいと思う今日この頃です。

伊藤祥雄

1968年生まれ 兵庫県出身
大阪外国語大学 外国語学部 中国語学科卒業、在学中に北京師範大学中文系留学、大阪大学大学院 文学研究科 博士前期課程修了
サイマルアカデミー中国語通訳者養成コース修了

通訳・翻訳業を行うかたわら、中国語講師、NHK国際放送局の中国語放送の番組作成、ナレーションを担当

著書

  • 文法から学べる中国語
  • 中国語!聞き取り・書き取りドリル
  • CD付き 文法から学べる中国語ドリル
  • 中国語検定対策4級問題集
  • 中国語検定対策3級問題集
  • ぜったい通じるカンタンフレーズで中国語がスラスラ話せる本